石原荘豆辞典敷地内の「熊襲の洞穴」?

石原荘の西側200mの山の斜面。そこには2つの洞穴があり、第1洞穴は約100帖。第2洞穴は入り口が崩れていて中には入れませんが、約300帖の広さがあると言われています。そしてここは、古事記や日本書紀にも登場した日本神話の舞台として知られています。さて、この洞穴にはどんな物語が?

この地で「ヤマトタケル」が命名された。

西暦97年のこと。16歳の小碓命(おうすのみこと)は、父である景行天皇の命を受け、九州の熊襲征伐に出かけました。ようやくたどり着いたその時、熊襲族の首領であった2人の兄弟は宴の真っ最中。小碓命は髪を結い、小袖を身に着けて女性の姿で宴に紛れ込みます。そして兄弟のスキを見計らって、それぞれを短剣でひと突き。死に間際、弟の熊襲建がその強さに驚嘆し、みずからの「タケル」を授けました。それ以降、小碓命は「ヤマトタケル」と名乗るようになったと伝えられています。その宴の場所こそが「熊襲の洞穴」で、以降この場所は“一名嬢着の穴”と呼ばれるようになりました。

現在では、モダンアート作品に。

その後、防空壕や炭焼き窯として利用されるなど、いつも人々の生活のそばにいた「熊襲の洞穴」。現在では、巨大なアート作品へと姿を変えています。これは、鹿児島県出身の前衛画家・萩原貞行氏が1990年2月に制作したもの。天井や壁をキャンパスに、さまざまな動物や抽象的な絵柄が描かれています。水性ペイントで色付けされたその作品は、スポットライトの光の中で幻想的な雰囲気をつくり出し、訪れる人をなんとも不思議な気分にさせます。石原荘にいらっしゃいましたら、ぜひ足を運んでみてください。

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